あえて男に振りまわされてみる。
純愛って、いまいち定義が難しいものだと思いますね。
でも一ついえるのは、まず自分の中で一番大切なものは何かというのがちゃんとわかっていて、
その対象に向かって一途に走ることができるなら、それはたぶん純愛と呼べるのではないかと。
たとえば、仕事が大切なのか、彼が大切なのか迷ったりするんじゃなくて”私には彼が一番大事なんだ”
と思ったら、何があってもそこから逃げ出さず、その思いをまっとうさせる。
何か壁にぶつかっても、そのたび建設的に考えて彼との関係を続けてゆくように努力する・・・
こういうことができるなら、その恋愛はその人にとって純愛なんじゃないかな。
彼のことが好きなのに、なんとなくダメな雰囲気になってくると、私ももう好きじゃないんだって
思い込もうとしたり、本当はA君をすきなんだけど、そろそろ結婚したいから、それにふさわしい
B君と結婚しようとしたり、とか・・・、そうゆうのって、実は、大切なものを捨ててるんだと思う。
それから、予測がつかないことが次々と起こって、それで気持ちが深まっていく恋愛もあるんじゃないかな。
20代半ばぐらいになると、もう何度か恋愛を経験して、「恋愛ってこうゆうものなんだろうなっていう、
ある種の結論みたいなものをみつけて、たかをくくる時期があると思うんだけど、ある時全くそうじゃない
人と巡り合う。また、パターンもこれまでのものと全くちがう。
これって、どうゆうことなの!?って思いながら、そこから新しい恋愛の形を作ってゆくこともあると思います。
それまでの自分のパターンをことごとく崩される。
その原因は相手の態度だったり、考え方だったりするわけですね。
でも、それで徹底的に嫌いになることはなくて、かえって持続することもありえる。
そうゆうのって新鮮だと思いますよ。
気持ちイイから心地イイへ。成熟した「小説愛」が手本
一時”気持ちイイ”恋愛がもてはやされましたけど、これからは、”心地イイ”が主流になる恋愛になっていくではないかと思います。
もっと精神的というか、心の奥深いところで波長が合ってる結びつき・・・
表面的な激動は無い代わりに、とても深みのある愛に変わると思うんですよ。
表面的には男と女の恋愛なんだけど、深い部分では人間としてのつながりがしっかりとある関係。
相手が男だから惚れるんじゃなくて”あ、この人には自分と通じ合えるものがあるんだ”というものを
ちゃんと見つけてから始まる恋愛。
よくいう”フィーリング”が合うという感覚の、もう少し深い感覚になるんでしょうね。
これまでは、自分の感情をもろに相手にぶつけることがいわゆる純愛だったと思うんですが、これからは
そのエネルギーを外ではなく内側に向けていくんです。
たとえば彼が好きだと思ったら、そこですぐ行動をおこすのではなく、そのすきだと思う気持ちの卵を、
自分の心の中でじっくりとあたためる。
自分で感情のレベルを推し量りながらあたためていくんです。
そうすると、機が熟せば、自分で殻を破らなくても、卵のなかから自然に割れていくはず。
たいていの場合、その殻を外から破ろうとして、アプローチをしたり、やきもちしたりするわけですが、
もしそのポイントまで待つことができて、自分の気持ちを十分に熟成させることができたなら
それこそ本物で、確実な愛になる。
気持ちをどこまでコントロールできるかがこの恋愛のカギになるでしょうね。
自分の気持ちがよくわからないうちから、行動してしまう人って多いでしょ?
その一方で、そんな静かで品性の高い恋愛を望んでいる人も多くなっていると思いますよ。
言ってみれば、ドラマ的ではなく、行間を読んで感性に訴えるような、
小説的恋愛の時代になっていくのではないでしょうか。
それともデジタルチックな恋愛の時代でしょうか?
どちらかというとアナログな恋愛のほうが感度が増すような気がしますね。