仕事も恋もやることなすこといいほうにまわっていて、正直いって羨ましい。
彼女は運に恵まれているんだなと思う。
確かに彼女は運がいいのだろう。
だけど、そこで自分は運が悪いと考えるか、次は私にも運がくると思えるか。
そこにこそ、実は運のいい女と悪い女の分かれ道がある。
運というのは、誕生日プレゼントみたいなもの。
自分が何をしたわけでもないのにプレゼントをもらって、なにかがプラスされるわけですよね。
ほかの人が誕生日に誕生日にプレゼントをもらってるのをうらやましくなるけど、
誕生日っていうのはいずれ自分にも必ずくる。
運もそんなもんじゃないかな
はやく誕生日になれと思ってもそれは無理な注文だし、
必ずくるものだから焦ってストレスを溜めたってマイナスになるばかりで意味がない。
何かの記念日を誰かが覚えていて思わぬプレゼントまでもらえる年もあるかもしれないし、
プレゼントの中身が自分の欲しいと思ってたものだったら、より運がいいっていうことですよね。
ただし、そこで同じ紅茶をもらっても、うれしいと思うか、なんだ紅茶かと思うかは、
その人の性格によります。
運っていうのは取り方次第ものだから、自分には運があると思う人のほうが結局運がいいと思うんですよ。
ちょうど紅茶が欲しかった、と思う人は、喜びも大きいわけでしょ。
いろんなことに興味を持ったり間口を広げていれば、ひっかかってくるものも多くなってきますよね。
運が悪いと思ってる女は、自分の運に不感症になっているだけだ。
それに運は、表面に見えていることがすべてじゃないと思うんですよ。
たとえばだれかに紹介してもらったAさんのことを嫌いだなと思っても、次にAさんと会ったらBさんを連れてきて、
そのBさんがチャンスをくれるかもしれない。
人でも物でも、やってきたものを否定しないっていうのは大事だという気がします。
見えてることだけで判断して受け入れなければ運もそこで終わるけど、とりあえず受け入れた人には、その先にある運まで開けていくかもしれません。
とにかくやってきた運にポンと乗ってみる。
運の始まりは他力本願で、全部他人の力に乗っているわけだけど、そのうち自分で自分を動かすための起動力も必要になってきますよね。
そこで自分もパシャパシャと漕ぐことができればよりスピードもが増すし、波を長続きさせることもできる。
恋愛でも、最初は出会った興奮だけでワーッと進めるけど、そのままにしとけばザブンと短い波で終わるかもしれないでしょ。
でもそこでちょっと相手に合わせたりして漕いでいけば、いい波になっていったりすると思います。
自分でも漕いでいける用意が整っていればココロ強いし、ちょっと無理かなと思うことでもとりあえず大風呂敷を広げてみればいい。
二回失敗しても一回は成功するかもしれない、その先に新しい世界が開けているかもしれない。
そんなふうにポジティブに考えらるのが、結局運のいい女なんじゃないでしょうか。
運を呼ぶ人は、運がいいと信じ切れる楽天家というか、悪いことがあってもそれを楽しめる人。
その日の夕ご飯が雑炊だったとしても、わびしい食事だとか思わないで、今日は雑炊の日なのっていう感覚で楽しめるようなね(笑)。
今は運が悪くても、次が楽しみだと思っていれば、自然に運も向いてくるんじゃないかと思いますよ。
運の総量っていうのは決まっているものではなくて、自分次第で増やそうと思えば、いくらでも増えるもの。
あんまり強欲にならず、来るものは拒まず、去るものは追わず、深追いは禁物です。
酒井 淳子