心の回転を止めて~禅のすすめ

禅とは

禅とは心の別名です。

ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。

私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。

世の中、意のままにならないものですが、正確には我欲のままにならないということです。禅語の「如意」は意の如くと、思いのままになることを言いますが「如意」の「意」は我欲のことではなく、自他の境界と距離を超えた森羅万象に共通するほとけの心のことを指しています。

この「ほとけ」の心の働きには「智慧」と「慈悲」があり、それは認許とも言い換えられます。自分とは違う相手を許し認め、自分とひとつとする「不生不滅・不垢不浄・不増不減」の空の価値観に立つおおらかな心のことです。

自他の距離と境界を越えるには、自分自身を空しくすることです。

禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう自由自在な心のことです。(大本山妙心寺)

 

ヨーロッパや米国で密かな人気の禅

曹洞禅はハワイ北アメリカ南アメリカで日系人コミュニティの発展とともに広がりました。

その一方ヨーロッパにおいては相当前はあるひとりの僧侶によって伝えられました。

弟子丸秦仙師です。

ヨーロッパでの15年間にわたる布教活動の中で多くの弟子を育て、数々の禅道場や禅センターを開設しました。

なぜキリスト教のヨーロッパや米国で曹洞禅を求める人がふえたのでしょうか?

キリスト教は日曜日の礼拝がありますが、なかなかそれだけでは現代の心の救いが得られない人も少なくないからです。

曹洞禅はただ座って心を無にするだけです。

一日10分でも1時間でも時間に関係なく自分のできる範囲でいいのです。

何かと忙しい現代においては心の回転を止めてリセットすることが大事です。

でもこの心を無にするということが結構むずかしいのです。

ただ座って目を瞑っても、必ず何かを考えたり、いやなこと思い出したり、仕事、恋愛。。。

座って(椅子でも、正座でも)目を瞑ったらどこまでも青い空を思い浮かべてください。

そして、雑多な思いがふと沸いてきたらまた青い空を。。。

その訓練を続けることです。

そして、呼吸も大事です。

ゆっくり深く吸い込んで、そして、ゆっくり吐き出す。

そうすると自然に雑多な念がその間になくなりおちつきが心地よくなります。

コロナ禍で外出できなくてイライラしたら試してみてください。

最後にお断りですがこれは宗教の勧誘ではありません。